遠野を訪れて  〜ダンノハナにて〜

令和4年から5年にかけての冬は全国的に冷え込みが厳しい印象です。

とは言え室内に入り暖房のスイッチを入れると外の寒さと関係なく、快適に過ごせるありがたい環境が日本にはあります。

そんな時にふと古の人の生活に思いを馳せてみると、一体この凍てつく寒さの中で電気もガスもなくどうやって生活していたのか、不思議にすら思うこともあります。特に北日本のような豪雪地帯となれば尚更です。

令和3年、4年と民話のふるさととして知られる岩手県遠野市を訪れる機会がありました。

この地が民話のふるさとと呼ばれるのは明治四三年に柳田国男が刊行した『遠野物語』に由来します。

この本は遠野出身の佐々木喜善が語った物語を柳田がまとめる形で記されました。
佐々木が幼少期から見聞きした伝承がその主な内容で、短いいくつもの話からなる説話集になっています。

実際に遠野を訪れた際には、この遠野物語の舞台となった場所をいくつか訪れることができました。その時に感じたことを中心に、思うままに時折書き出して思考を整理しておきたいと思います。

令和3年の11月に初めて遠野を訪れた際には駅前でレンタルサイクルを手配して時間と体力の許す限り遠野物語ゆかりの地を巡ってみました。中でも土淵山口集落という場所に数多くのゆかりの地が残っていました。

そんな中で”ダンノハナ”と呼ばれる小高い場所に位置する共同墓地へ向かいました。ここには佐々木喜善のお墓もあります。

訪れたのは昼下がりでしたが11月中旬の平日ということもあり、観光シーズンではなかったので閑散としていました。誰もいない山道を登っていてふと頭をよぎったのが「もし今ここでオオカミやクマに出会ったらなす術がないな」という思いでした。おそらく数百年前から変わらないであろう山の入り口ですので、昔の人も同じ場所を通っていたはずです。今はオオカミはいませんし、クマともそうそう出会う機会はありませんが、昔はいずれも可能性がありました。そしてある日突然命を落としてしまうことも少なくなかったと思います。この場でもそうした人がいたかもしれない。ダンノハナに向かう山道の途中そんなことを考えていました。

現在では家を出て仕事に行けば普通に帰宅することは当たり前のように感じますが、こうした環境で生活していた昔の人には決してそうでなかったのでしょう。厳しい自然と向き合い、共存しながら生活していく中で、命のやり取りをする場面も少なからずあったのではないかと想像します。食料を求めた狩猟や採取も時には命懸けの行為だったはずです。加えて毎年寒さの厳しい冬を越さなくてはいけないし、飢饉なども頻繁にありました。そんな中で一日を無事に過ごすだけでも大変なことだったのではないかと思います。

こうした生活の心の拠り所となったのが古くから伝わる民間信仰なのかなとも感じました。
道端にある道祖神に手を合わせ、一日の無事を祈る、そんな習慣が心の支えになっていたのではないかと思います。

当たり前のことを当たり前に感謝する、こんな心の持ちようが厳しい環境を生き抜く柱になっていたのではないでしょうか。

こうした古くからの民間信仰には今の社会を生き抜くヒントがたくさんあるようにも感じていますので、この点を深掘りしていきたいと考えています。

遠野物語・山の人生 (岩波文庫) 文庫 –